てんかんについて

乳児や幼児によく見られるものに「大発作」といって全身が堅くつっぱるものがあります。


これは先天的な脳の障害や、出産時の事故による場合があるのです。


また「点頭てんかん」といって、おじぎをするようにみえるものもあります。


次に欠神発作といって、ちょっと眼つきが変になりボヤッとするものもみられます。


学童になると、大発作や欠神発作のほかに、一時的に動作が止まったり、また、急に走り出してボヤツと一瞬間立ち止まってから気がつくというような異常行動とも見られるものもあります。


中学・高校年齢では頭痛がしたり、気分が悪くなるなど自律神経の症状を示すものがあります。


ことに女性ではメンスの初めのときや、春先など特定の時期に症状の現れる場合もあります。


しかし、これらのことは一般的な傾向であって、なかには乳幼児期には症状がみられず、学童期になって特別な原因なしに発作がおこることもあります。


心身障害の有無によっても発作のあらわれや、その移り変わりに差があります。

科学と心理 6

もしわたしたちがこの精神で科学について教えなかったとすれば、専門的な問いかけに関わるのは背信行為と言うことになります。


多くの学者にとって、このアプローチが社会的文脈における科学に対する唯一の、合法的で、学究的なものです。


「科学とは何か」という問いに閃わる理論的分野は、STSの主題全体の中心です。


もしこのような学問分野がまさしく存在し得るなら、見つけたことを伝え、それをSTS教育の基礎として確立するのがわたしたちの義務であるのは明白です。


通常の科学教育は、この問いに対する平凡な答を与えます。


科学は、科学的方法を適用することによって発展してきたのであり、その科学論的な正当化は哲学の中に見いだされると考えられます。


現役の科学者たちが科学哲学についてよく知っていることはまれであり、また彼らはその実際的な価値に極めて懐疑的だけれども、一方彼らは理科系の学生が科学哲学をほんの少しだけ学ぶのは良いことです。


「妥当」な科学のコースで、なるべく選択コースに入れたいと考えています。


この見解は、今や科学教育の中でしっかりと位置づけられたものです。

科学と心理 5

授業の目的に関してはっきりした考えを持っている熟練した教師は、これらのワナや茂みを避けて、STSの歴史的方法によって大きく進歩します。


しかし科学教育におけるSTS運動の目的は、理科の学生に科学史を教えることによって自動的に達成される訳ではありません。


実の所、科学には、歴史家の傾向に応じて、個人主義的、技術主義的、哲学的、社会学的、理念論的といった、さまざまの異なる「歴史」があります。


科学史に対するこれらの多様な見方の内、適当なものを利用し、どれか一つが正しい見解だ、と考えないようにするのが、STSを教える教師の貴任です。


科学の歴史はそれ自身STS教育への「方法」ではありません。


科学史は一つの方法、あるいは非常に重要なSTSのテーマが拡大され、例示される一種の様式と言うべきものです。


アカデミズム指向型の人にとって、物事の本質は深遠な理論にあります。


例えば化学は原子問の結合の外に現れた表現です。


生物学は遺伝子コードが解読されてはじめて意味を持つようになるのです。


もしわたしたちの扱う主題が科学そのものであれば、それが何であろうとも、その理論に照らして研究するべきです。

科学と心理 4

先取権に関する争いなどは、「遠くの大曹の戦争」です。


理科の学生は成功を収めた研究に内在する基本的に反歴史的態度に深く染まっています。


過去の愚行や誤りは遂に乗り越えられ、それらの記憶は役に立たないお荷物だから捨ててしまえ、というわけです。


科学史を専門にしている人たちは、この学問を親しみやすく、一般的なものにするよう十分努力しているとはいえません。


彼らの研究はしばしば極めて細かい問題に関わっており、たいていの科学者は一般教育の欠如のため、この種の問題に無縁です。


17世紀の科学革命をルネッサンスや宗教改革の結果として解釈するのは結構な話でありますが、それは学生がこれらの文化的危険が予兆するものをきちっと理解していればの話です。


学生たちは前ンクラテス派がンクラテス派に対してどんな意味を持つのか、新プラトン派はプラトンから出てきたのかどうか、また何故論理学はアリストテレス派なのか、何一つ知ってはいません。


科学史は研究の対象としては楽しいのですが、主として好事家のものです。

科学と心理 3

スケールの拡大、個性の戯画化、歴史的事作に対するわたしたちのイメージをゆがめる神秘的特徴によって、それらから学びうる教訓が強められることが多いものです。


通常科学が過去の「偉人たこを必要とするように、STS教育も伝統的な類型学、尊敬すべき制度、劇的なエピンード、英雄的人物を必要とします。


知識社会学の入門として、ダーウィンの進化論が激しく論難された1860年の英国科学振興協会のオックスフォードにおける会議ほど良いものがあるでしょうか?


・・・正確な学識を持った良心的な教師は、言われていることが、見かけほど黒白がはっきりしてはいないことを良く知っているでしょう。


しかし、これは歴史教育の癒し難い欠点であり、いわば過去に実際に起こったこと以上のものを投影することは決して出来ないものです。


しかし、科学思想理念の発展の満足すべき歴史イメージをつくるための真の困難はとかく過小評価されがちです。


経験を積んだ理科教師とはちがって未熟な生徒にとっては、科学の歴史はわかり易いものではなく、また面白くもありません。


逸話や科学的影響のエピンードの年代記は、詳しく述べると自らの重さで潰れてしまいます。


そもそも、2人がエネルギー保存則を最初に発見したと主張していますが、本当に発見したのはそのうちの誰なのか、といったことに現在誰が関心を持つでしょうか。


レオナルドの書いた解剖図が失われた、あるいはメンデルの論文が無視されたとしてもそれがどうしたというのでしょうか。

科学と心理 2

STSの主題は科学史あるいは平行関係にある経済史・社会史において、十分にはっきりと確立された訳ではありません。


実際、高級な科学論に学問の世界での位置を与えようと言う努力は、科学教育における同種のテーマに対する運動と関連しています。


そ・・・れにも関わらず、STS研究の歴史的方法には、計り知れない教育上の利点があります。


既に述べたように、長命ではありますが時と共に大きく変化する社会の制度としての科学の歴史が、伝えられるべき「メッセージ」の主要部分です。


そのより原初的形態での制度、概念、経験、物質的資源を眺めるほうが、高度に洗練された現代的形態を眺めるより容易にこれらを理解できるでしょう。


ですから、例えば学会とその学術的刊行物の基本的目的と機能は、商業化され、官僚的に組織された今日の学会活動よりも、王立協会(ロイヤル・ソサエティ)とその刊行物『フィロンフィカル・トランズアクションズ』によりはっきりあらわれています。


現代の関心事からあまりにもかけはなれているため、ガリレオ裁判は、批判的科学と正統的権威との間の相克を、例えばオッペンハイマー事件やルイセンコ事件の研究よりはるかにはっきりと示してくれます。


空想を許す距離は劇的な力を加えます。

科学と心理

分析は通常の学問的記録にはない社会的・心理的要素にまで広がるものです。


科学史に伝記的要素を含ませることは、人間的関心という面からも、素朴な科学主義の解毒剤としてもすこぶる魅力があります。


この分野での傑作、例えば『ニ重らせん』では、科学者は真の人間、時代の寵児、不確かで、勤勉に働き、友人と共に落ち込み、漠然と栄光その他もろもろのものを求める人として描かれています。


この本は単に大学の科学の枠の中だけでなく、研究開発(R&D)システムのより広い社会的枠の中で、研究の人間的側面について述べたいと思うすべてのことを例として示してくれます。


・・・しかし、個人への偏向は、集団的活動や制度の形式を過小評価します。


例えば大学の科学史家が学会、コミュニケーション・ネットワーク、科学者集団内の他の社会的現象を研究し始めたのはつい最近の事ですよね。エグゼクティブトレードによると、純粋科学と何世紀にも渡って共生関係にある技術史は、全くといってよいほど無視されてきました。


社会全体の中での科学技術の歴史的役割は、階級と経済的要因を最重要と見なす非常に推論的な解釈のいくつかを、支持あるいは論破するのに足りるだけ詳しく研究されたことはなかったのです。

科学と教育 4

フック、ホイヘンス、デカルト、ライプニッツ、数学者ウォリス、天文学者フラムスチードを無視できません。


彼らの一人一人についてその生涯と業績を研究しなければなりません。


しかもその上に、後世の人にはほとんど忘れられてしまったが、在世中には驚くほど切れ者で、業績を上げた人たちも見つかるでしょう。


知識の進歩の各段階について、その正確な前段階を捜し求め、後に正しいと認められたことを予測させると思われる全ての事に事後承認を与えようとし、あるいは新しい資料でもって、偽りの評判をあばこうとします。


・・・こうして通常の科学者は科学史家をたくさんのこまごましたことに誘い込むのです。


職業的科学史家は、この種の街学的懐古主義に抗して、発明と思想のやり取りの物語に見いだされるもの以上の、微妙な影響や流れを捜し求めます。


科学史は、文化と思想の一般史の一分野と見なされるべきです。


個々の科学者たちは哲学的、宗教的、美学的、政治的、経済的その他もろもろのイデオロギー的な幅広い影響を受けています。


それと同時に、彼の研究の道筋は、社会的地位、知的な背景、情緒的必要性、その他の個人的状況に強く影響されるのです。


科学と教育 3

最初の20かそこらを答えた後は、自分自身の専門分野に関してさえすっかり口ごもってしまうでしょう。


教師の折に触れての話や一般向きの読物は、ガリレオ裁判とか、アインシュタインはンックス嫌いだったとかいったさまざまな言伝えや馬鹿馬鹿しい詳しい話に充ちています。


正確な、前後関係の情報は含まれていません。


学校での経済史や社会史の講義では、産業革命に関連した技術上、科学上の革新についてある程度は議論します。


しかし同時に進行していた地理学や生物学での重要な進歩はほとんど触れられないのです。


純粋な知識についてはかくも半端で断片的な基礎しか持たない学生に、歴史における科学の社会的役割を解説しても役に立たないし、かえって有害かもしれません。


さて、基礎的な科学史に関する教授プランが出来たとしましょう。


どんな結果が得られるでしょうか?


・・・残念なことに、この種の知の歴史は無限の深みと複雑さを持つものです。


一人の偉大な科学者をめぐって、1ダース以上の言及に値する科学者がいます。


ニュートンの仕事を分かりやすく説明しようとすると、コペルニクス、ケプラー、ガリレオに戻るだけではすまないでしょう。

科学と教育 2

彼らは、彼らが今教えている事、あるいは個人的に発見したこと、未来に対する大ざっぱな想像の全てを真実の表れと見なし、また自らの現在の位置の歴史的背景という概念を全く持ち合わせていません。


この立場は科学技術方面に進むための準備として、科学の過去を教えるのは大変賢いと言うことを理解しない、科学至上主義の極端で偏屈な形です。


しかし、何が教えられるべきであり、またどのように扱われるべきなのでしょうか?


科学史は極めて奥深く、多様で豊富な分野であり、初等コースには、ごく限られた事実とテーマしか含めることは出来ません。


歴史からのSTS教育へのアプローチが、原理的にはすぐれていることに疑問の余地はありません。


しかし実行するとなると、著しい欠点や困難を伴うと言わざるを得ません。


まずはじめに、初歩的な事実・知識の適切な体系をつくらなければなりません。


ほとんどの理工系学生が、自分自身の専門の歴史の基本のごく粗っぽい筋書きすら知らないでも平気でいるのは驚くべきです。


ニュートン(力学、1700年頃)、ダーウィン(進化、1850年頃)といった著名な科学者の主な仕事とおよその年代を彼らに聞いてみるといいでしょう。

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